野忽那島(のぐつなじま)
まるで小さな楽園のような島
忽那七島の最も東にある1番小さな島であり、彼女が生まれた島「瀬の島」の映画で一躍有名になった野忽那島。周辺の海にはアジ・メバル・サバ・アブラメなどの魚が多く、一年を通して釣り人が訪れます。またみかんを中心とした農業と漁業の島であり、まるで小さな楽園のようなゆったりとした時間が感じられる島です。
映画のロケ地でもある標高71.4mの皿山展望台からの景色は、美しい瀬戸内を代表する風景となっています。2002年に整備された遊歩道には、映画の登場人物の名前がつけられ、展望台には戦時中の監視所の一部が残っています。
2008年に野忽那小学校が休校となったことで、かつて行っていた瀬戸内シーサイド留学という制度は一旦中止になりました。この制度は、毎年数名の子どもたちを日本各地より受け入れて、島での生活を体験してもらうというものでした。多くの卒業生が、今もなお島を訪れることもあるようです。
野忽那小学校から集落の路地を通り、島を横断した先にある美しい砂浜広がる”ヌカバ海水浴場”からは高縄山、そして沖には往来する船などが望む、まるでプライベートビーチのようにゆっくりとした時を過ごすことができます。また忽那諸島の中では、周辺をあまり損なわないで残っている貴重の遺跡「丸山古墳」は、鹿角装の刀や鉄剣・人骨などが出土しており、松山市指定史跡となっています。
他にも島の芸術家・石崎嘉吉の色鮮やかな絵馬がある”宇佐八幡神社”、野忽那島と睦月島の間にある面積0.0033㎡の”芋子島”、島の北東にある無人島の”田ノ島”など歴史文化が残り自然溢れる島です。
野忽那島は古くは”野島”と呼ばれており、地頭になったのは東浦地頭重俊の子重平でした。安和年間(968-970)に風早郡北条から多田満仲の遺臣がこの島に移り、漁業を営んだのが定住の始まりと言われています。島人の結束力の強さと群行動の統一は、七島中で最も漁村的性格の強い島とも言われており、昭和23年頃までは一本釣を修行としていましたが、昭和26年に衣類行商に転じた一例からも伺えるようです。