観音堂とみどりの墓
女性の恋の想いを、大切に守り続ける島びと
島の西側にある観音堂は、郡代官広橋修が港を築くにあたり、観音像を安置するため1821年に創設されました。
その傍らにある墓所には『みどりの墓』があり、高さ35cmほどの墓石には「俗名みどり 天保二年六月二日」と刻まれています。
江戸時代の終わりの頃、この島にいた遊女みどりさんは、度々通ってくる客と恋仲になるが、叶わぬ恋に嘆き悲しみ波止場から身を投げました。島の東側にある浜「ミズハ」の岩の上に亡骸が打ち寄せられており、いつしかこの岩を『みどり石』と呼ぶようになりました。明治頃に港の改修工事の際、石工がこの石を割ったところ、石の中から白蛇が出てきて病気になってしまったという伝説があり、島人は”祟り”と恐れてその岩に手をつけるものは誰もいないそうです。