怒和島(ぬわじま)
農業と漁業ともに栄え、伝統が息づく島
三津浜港から釣島・中島・二神島・津和地島を経て怒和島になり、忽那諸島の西部に位置します。島の東側に元怒和、西側に上怒和の2つの集落があり、『日本一の働き者の島』と言われるほど、島人の多くは農業を営みつつ漁業権を持っています。愛媛県からの派遣実習生としてアメリカ研修を行った農業後継者が農業の担い手に含まれるなど、全国・海外へと視野を広げる気風があります。
みかん・伊予柑・レモンをはじめ、近年では紅まどんなやカラマンダリンなど幅広く柑橘類栽培を手がけていますが、設備の負担やイノシシの被害増加などがあり、砂地の土地と気候を活かした玉ねぎ栽培も増えてきています。漁業では鯛やハマチを始めとした海の幸にも恵まれ、元怒和・上怒和の入江では”坊ちゃん島あわび”や海藻類の養殖が行われ、島の特産物となっています。
寺や神社・海や山・狭い路地の町並みなど、島の歴史と共に育んてきた場所が多くあり、『第二の故郷』と感じるような穏やかな空気が流れています。
上怒和港から北東にある丸い形の山「丸子鼻(まるこのはな)」には、丸子姫が船で遭難し亡くなった旧暦の大晦日には丸子鼻の先の海上に火が灯るという『丸子姫の伝説』、また19世紀に旅僧が楠木にお地蔵様を彫ったとされる「生木地蔵の楠木」は、参拝して同場所を撫でると治るという伝説が残っています。
北部にある宮浦は島の中で最初に集落がされた場所とされており、その宮浦には島の総鎮守の「若宮八幡神社」、かつて稚児奴の行列が行われていた元怒和にある「厳島神社」、上怒和には菅原道真を祀っている「天満神社」など島人により大切に守られています。また祭りも同様であり、上怒和地区で行われる本格的な獅子舞、この島ならではの盆踊り・供養踊りなど、昔ながらの様で引き継がれています。
かつて忽那水軍が勢力を誇っていた平安後期に拠点の1つとして城郭が築かれたクダコ島は、怒和島と中島との間にあり、複雑な潮流のクダコ水道は有数の漁場として釣人の人気スポットになっています。クダコ海流は潮の流れが速く危険な海域でもあり、明治36年にクダコ島に灯台が建てられ現在も航海の安全を守り続けています。