安居島 港と町並み
安居島にゆっくりと流れる時間と町並み
松山市沖の忽那諸島・安居島は、松山市北条港から北西13.5㎞に位置し、東西1.2㎞南北0.2㎞という小さな島に20余名の方が生活されています。島ではひじきをはじめとした海藻や魚介類が豊富で、家庭菜園など自給自足に近い生活をされています。
南側に港と集落が集まり、後ろの稜線が南北を分けています。江戸中期頃まで無人島だった安居島は、1817年に大内金左衛門ら開拓者が入植したことに始まります。金左衛門らが最初に手がけたのは、港の整備です。斎灘(いつきなだ)の漁場に近いことや潮待ち・風待ち島として、また様々な船舶が立ち寄るようになり、安居島発展の礎を築くことになりました。この大内金左衛門をたたえて、島の東側に開祖の碑が建てられています。
港すぐの石段を進むと「観音堂」があり、1821年に郡代官広橋修が港を築く為に祭った観音像を安置しています。境内には悲恋物語で言い伝えられている「みどりの墓」があり、「俗名みどり 天保二年卯年六月二日」と彫られた墓石は、今も島人が大切に守り続けています。
島のほぼ中央にある天満神社(天神社)は島の氏神様、菅原道真が祀られています。鳥居をくぐり参道を登ると旧安居島小学校の運動場があり、グランドの左側には「安居島小学校 百周年記念」の石碑、右側には老朽化した鉄棒やゴールポストが時の流れを感じさせます。そのグランド中央の奥の石段を更に登ると木造の天満神社があります。さらに海岸線をもう少し東に向かうと、安居島がまだ無人島だった頃に流れ着いて死んだ人が祭られているとされている「姫坂神社」があります。境内からは遠く小安居島と斎灘を望み、入口左右の狛犬が今も神社を守っています。